借金 多重債務 借金返済

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有名人にも驚くような億単位の巨額の借金を作り、必死に返済した人がいます。何かのきっかけで借金を抱えることになってしまった人は、苦しい思いをしていることでしょう。その苦しみを乗り越えるために参考になる話を紹介します。

借金を返済した人たち

借金に負けるな!

普通の人ならば、大きな借金を抱えてしまったら、それだけで絶望的な気持ちになるのではないでしょうか?借金を抱えてしまうきっかけはいろいろありますが、そもそも借金が無い状態から借金を作ってしまったわけですので、まずは借金がそれ以上増えないようにすることを考えなければなりません。次にどのように返すか考え、実行しなければなりません。少しずつでも借金を返済する状況までに持って行けるかどうかが最初の試練ですが、その段階で心が折れてしまうことがあります。そんな時には、大きな借金を返し終えた人々の話を読んで、勇気をもらいましょう!


加山雄三

1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業。1967年に運営会社「日本観興開発(後に株式会社パシフィック・ジャパンに改称)」取締役に就任。しかし、パシフィック・ジャパンは1970年3月に23億円の負債を抱え倒産、ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、10年で完済したとのことです(参考文献:Wikipedia)。人間、必死になれば乗り越えられるんですね。


矢沢永吉

オーストラリアにおける事務所元側近による巨額横領事件に巻き込まれ、土地取引を巡り、34億円という巨額の負債を背負うこととなりました。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15,6年かけて返済していた」と後に語っています。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額です(参考文献:Wikipedia)。自分のせいではないのに、これほどの借金を返済するとは凄い根性です。


さだまさし

1980〜1981年にかけ、中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメント映画『長江』を制作しました(1981年11月公開)。映画自体は120館上映というヒットであったものの、それ以上に制作費をかけ過ぎたため、約28億円(さだ曰く金利を含めると35億円)もの負債が残ってしまいました。その後、ライブツアー、小説執筆など、精力的に活動し、既に全額を完済しているとのこと(参考文献:Wikipedia)。


徳大寺有恒

経営していたカー用品会社が倒産し、借金を背負いました。借金の取り立てで、日本刀を持った暴力団員に取り囲まれたこともあったそうです。そんな極貧生活の中で糖尿病を患い、入院中のベッドで執筆したのがあの大ヒット作、「間違いだらけのクルマ選び」の原稿でした。その後、ベストセラーを出し続け、高級外車を買えるようになっています。


阿部寛

1983年、大学在学中に「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し優勝。以降、雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍しました。この頃投資用にマンションを購入しましたが、その後のバブルの崩壊、人気の低迷により、大借金を抱えることになりました。金額は明らかにされていませんが、億単位のようです。俳優の仕事もしましたがモデル出身ということでありきたりな役しかなく、次第に仕事が減っていき、数年間はパチンコで生計を立てていたとのこと。このままではいけないと一念発起し、「役名も無いような端役でもいいから」と必死に俳優に打ち込み、少しずつ俳優として地位を築き、ご存知のように復活しました。大きな借金は約20年かけて返済したそうです。立派ですね。(以下は阿部寛の代表的なヒット作「テルマエ・ロマエ」です)


明石家さんま

1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚。豪邸を8億5000万円で購入しました。その後、3億5000万円で売却することとなり、最終的に5億円の借金が残ります。あまりの借金の大きさに「死ぬか」「しゃべるか」という心境になり、死よりもしゃべる仕事を選んだそうです。それでも「声出ない夢を何回も見た」というほど不安に苛まれましたが、「テレビのレギュラーなくなったら絶対終わるんやから、俺」という覚悟で臨み、借金を返済しました


築地銀だこ社長 佐瀬守男

28歳の頃に、横浜の中華街でアイスまんじゅうを販売したところ爆発的に売れました。まだまだ売れると思って1億かけて工場を作りましたが、その途端に売れなくなってしまい、1億円の借金を作ってしまいました。その後、アイスキャンディー、ジャガイモなどありとあらゆるものを売って借金を返済しました。1994年にコンスタントに売れるたこ焼き一本に注力しました。その頃、実家の鉄工所に3億円の借金があったため、鉄工所の社長となり、たこ焼きの機械の製造工場に変更。必死でたこ焼き屋を出店し、たこ焼きの機械を販売したところ、約1年半で借金を返済できたそうです。


坂口良子

1986年(昭和61年)に不動産会社役員と結婚し、1男1女をもうけたが、1994年(平成6年)に離婚。バブル崩壊により夫の会社が破綻し、多額の負債を無断で保証させられるなどし、結婚前からの資産も全て無くなってしまいました。借金を返すために仕事中心の生活で娘に可哀想な思いをさせたが、自分に責任が及んだ借金はほぼ完済したと『女性自身』の取材で告白しています。借金の推定金額は40億円(参考文献:Wikipedia)。


石川さゆり

石川さゆりと言えば、「津軽海峡・冬景色」、「天城越え」などのヒット曲で有名です。Wikipediaによれば、「1980年代後半にはカラオケボックス運営会社「カミパレス」の経営を知人と行い、国民銀行の融資のもとで30店舗ほど展開する実業家の一面もあった。しかし後に経営からは退き、カミパレスは1999年9月に破産宣告を受けた。経営破綻した国民銀行が1995年にカミパレス対して行った35億円の融資について、不良債権を引き継いだ整理回収機構が石川個人が契約した連帯保証の残金28億円余りの支払を求める損害賠償請求を提起。2003年に東京地裁で一審判決が出たが、その内容を不服とした整理回収機構が抗告すると共に石川の自宅を一時差し押さえた。同年に10億円の賠償金支払いで決着している。」とのこと。現在では完済しているようです

石川さゆりは熊本県出身で、2016年の熊本地震の被災者のためにコンサートの際になどに呼び掛けて集めた義援金を、熊本県知事に手渡しています。お金の苦労を誰よりも知る石川さゆりの優しさを感じます。(以下は石川さゆりのベストです)


アントニオ猪木

1976年、伝説となったモハメドアリ戦を実現するために巨額の資金を投入しました。しかし、興行収益は大幅な赤字となり、推定20億円の借金を抱えることとなってしまいました。現在は完済しているそうです。プロレスの世界は歴史を遡ってみても、本当に離合集散が激しく、業界として安定感がありません。その中で生き抜くことも大変ですが、さらにアントニオ猪木は他の事業に手を出したりして失敗もしており、まさに波乱万丈の人生です。それでも借金を完済したことは立派です。


石井竜也

「浪漫飛行」、「君がいるだけで」などのヒット曲を出したバンド、米米CLUBのボーカルとして有名な石井竜也(バンドではカールスモーキー石井の名前で活躍)。映画監督に取り組み、1994年に映画「河童」、1996年に映画「ACRI」を公開するも、興行的には失敗。約10億円の借金を背負うことになった。このことなどが原因となり、1997年に米米CLUBは解散しました。その後、二度も自殺未遂を繰り返しましたが、石井の父親に電話で諭され、立ち直ります。精力的に活動を展開し、なんと2004年頃には借金を完済します。2006年に米米CLUBを再結成し、現在ますます活躍中です。見事な復活劇ですね。


坂上忍

ボートレース狂いの父親(坂上精一郎名義の小説「歳月のかたみ」がある作家、2012年没)が出版社経営に失敗しての倒産とギャンブル癖で、1億円程度の借金を抱えることとなってしまいました。杉並区立桃井第三小学校の高学年時から杉並区立荻窪中学校時代にかけて暴力団が自宅まで借金の取立てに押しかける環境で育ちました。15歳の時に両親が離婚。中学までで辞める予定が、1億円以上の借金返済のため子役の仕事を続けました。母、兄も借金返済のために必死に働き、完済しました。家族と協力し、必死に努力して借金を返済したことに敬意を表します。


水沢アキ

1986年、英語教材会社や金融会社を経営する日本在住の米国人ビジネスマンガイ・スィーヒと結婚。1男1女を儲けるが、1993年に離婚しました。離婚後、バブルがはじけて不動産投資に失敗し、8件保有していたマンションを手放しますが、手元には6億5千万円の借金が残りました。必死に働き11年で返済したそうです。その間は貧困にあえぎ、スーパーの試食コーナーで子供の空腹を満たしたりしたそうです。今では都内に2つのダンススタジオを開設するほどにまで復活しています。(*以下は巨匠篠山紀信撮影の写真集と水沢アキの著書です)


君島十和子

モデル・女優として活躍していた吉川十和子は、1995年に有名デザイナー君島一郎の婚外子、君島明(後に君島誉幸と改名)と入籍。君島明は、正妻・その息子と君島ブランド(君島インターナショナル)の引継ぎについて、骨肉の争いをしていました。最終的には君島インターナショナルを引き継いだものの、会社は莫大な借金を抱えていることがわかります。この件に関する報道から君島ブランドのイメージは悪化し、経営は悪化。その後倒産してしまいます。借金を整理し、君島十和子が化粧品、洋服などのブランドの立ち上げに成功し、見事復活しました。この間、2人の子供を出産し、育て、長女は宝塚音楽学校に入学しています。すごいです!


桑田真澄

元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家。PL学園高校時代は清原和博とのKKコンビで一世を風靡し、プロ入り後は1990年代の読売ジャイアンツ(巨人)で、エースの背番号18を背負い活躍。姉の元夫が桑田真澄名義で行った不動産投資に失敗し、約20億円の借金を背負いました。読売グループが事態の解決に動き、負債を圧縮し、最終的には桑田真澄本人が完済したそうです。そのためメジャーリーグに行く時期もかなり遅くなり、思ったような活躍が米国ではできなかったようです。


南原竜樹

愛知工業大学在学中、土木工学を学ぶ傍ら中近東からの自動車の並行輸入を始め、1984年にヨーロッパからの輸入を開始し、バブル景気最中の1988年2月12日にオートトレーディングルフトジャパン株式会社を設立しました。2001〜2004年放送の人気番組「マネーの虎」で敏腕経営者として有名になります。2003年にはイギリスの「ロータス」輸入権の獲得に続き、大手自動車会社であるMGローバーの輸入権を獲得し、「MGローバー日本」を発足させ、オートトレーディングルフトジャパンの傘下としMGローバーの経営破綻まで同社の乗用車の輸入販売を行っていました。2005年4月にローバーが経営破綻したことで、会社は窮地に陥り、全従業員を解雇、30億円の借金が残りました。「倒産」、「自己破産」などが頭に浮かびましたが、借金を返済する道を選びます。預金をすべて借金返済に充て、会社の資産を処分し、必死に借金返済を続けます。借金返済が間に合わない時は知人から借金をしたり、高金利から借金をしたりして何とか凌ぎます。住んでいた六本木ヒルズのマンションも退去し、住む家も失います。返済に充てられる資産があるうちに次のビジネスを立ち上げなければジリ貧になると考え、新たなビジネスを立ち上げ、年商100億円にまで復活しました。


貴闘力忠茂

二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。現役引退後、大鵬部屋の部屋付き親方になり、その後、部屋を継承します。親方として相撲協会に在籍中、野球賭博に関与し、解雇されます。現役時代からギャンブルにハマっており、義理の父であった故・大鵬親方に「ギャンブルを絶対やめてくれ」と懇願され、借金もすべて返してもらった。それにも関わらず、上記の野球賭博問題で解雇に至り、当時の妻と離婚することとなります。それでも故・大鵬親方は気にかけて、声をかけてくれたそうです。


六角精児

大学入学後からギャンブルにハマってしまいました。そして、アルバイトで稼いだお金と学生ローンで借りたお金を注ぎ込んでしまいます。ギャンブル依存は40歳を超えるまで続き、消費者金融に500万円、人から借りた金などを合わせて1000万円まで借金が膨らみます。2005年に「電車男」出演した頃から、テレビのレギュラー出演が入るようになり、2006年には1クール内で3本のドラマにレギュラー出演し、借金の全額返済に成功しました。良かったですね。


ドン小西(小西良幸)

日本の男性ファッションデザイナー。アパレル・メーカーに就職するが、31歳で独立。若くして成功し、バブルの真っただ中に巨万の富を手にします。30代から40代にかけて、従業員をどんどん増やし、1997年にはニューヨークコレクションでデビュー。マンハッタンにオフィスも構えるまでになりますが、日本のマーケットが急変。ドン小西のファッションの人気が急落し、15億円の借金を抱えます。5年間のウツを乗り越え、返済を続け、2007年には15億円の借金を完済します。その間、娘の学費が払えなくなり、娘は自主退学を余儀なくされるなどの困難もあったそうです。現在は、ドン小西氏は、教育活動、公的活動を含め、第2の挑戦をしているそうです。(*詳細は下記書籍等を参照下さい)

逆境が男の「器」を磨く


林マヤ

ファッションモデル、タレント。日本人として初めてファッション誌『マリ・クレール』フランス版に登場し、パリ・コレクションにも出演しました。1996年、資生堂エリクシールのCMに出演したことで注目を集め、『anan』には毎号トップモデルとして登場し、東京とパリを往復する生活を10年間続けました。一度のランウェイ出演で100万円ほどの収入を稼ぐなど、かなりの収入があったが、散財し、一億円もの借金が残る結果となりました。あまりの極貧生活で、電気、水道、ガスも止められ、ネコの缶詰を食べて飢えをしのいだこともあったそうです。自殺しようと、夫とともに車で富士山麓の樹海の崖に行き、そのままアクセルを踏めばといったところまで思い詰めますが、寸前で思いとどまりました。その後、心を入れ替え、タレント活動に加え、いくつものアルバイトを掛け持ちし、見事、借金を完済しました!


杉田かおる

女優、タレント。7歳で「パパと呼ばないで」に出演し、天才子役と呼ばれます。独立の際に設立した事務所が倒産し、13歳で300万円の借金を背負いました。その後、「3年B組金八先生」、「池中玄太80キロ」などに出演します。事務所を移籍しますが、マンションを買ってもらっていたため、費用の2000万円を抱えることとなります。その後、マンションを売却するなどして、借金を返しますが、今度は父親の借金の連帯保証人として1億円の借金を背負いました。借金返済のため女優業に加え、毒舌キャラとしてバラエティなどでも活躍。ついに借金を完済しました!浮き沈みの激しい芸能界で、不屈の精神で生き抜いてきた彼女の強さを感じます。



以上、借金を必死で返済した人々をみてきました。改めて驚くのは芸能人のお金を稼ぐ力。いろいろな巡り合わせで数億から数十億円もの借金を背負った後、必死に努力して返済しています。普通の人ならばとてもできないでしょう。

芸能人以外でも、経営者としてしっかり稼いで返済した人もいらっしゃいます。金を稼ぐことに全力を投入すれば道は開けるのかもしれませんが、普通の生活をしていたらとても返せるような金額でなければ普通の人ではできないようなことを成し遂げなければなりません。敬意を表します。

コンテンツ

1.借金を返済した人たち

2.自己破産(民事再生)した人たち

3.借金を作ってしまう原因

4.借金に負けないためにどうすればよいか?

5.収入を増やす!節約する!

6.女性の貧困について

7.高齢者(老後)の貧困について

8.交通遺児世帯の貧困について

9.借金返済(債務整理)方法

10.ギャンブル依存症

11.借金・貧困に関係がある統計情報

12.格差社会を知る・生き抜くための本

13.奨学金・学費貧乏

14.スポーツ選手とお金


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